2008年11月21日
種をまくのが情操教育

学校で古語古典といえば、さっぱりわからず意味不明でした。今は逆に古典文学よりも、つまり古語をして表現される文章から現代語的感情を読み取るような翻訳読みよりも、古語そのものを古語そのままに使われる音感や節が楽しいですね。美しいは美し(うまし)。まかりとおる、たわわにみのる、いらか、まほろば、かむいやしろち(神社)、オホカムノミヤ(大神宮)、スメラミコト(天皇)。
日本の文化の元はすべて中華から伝来などといわれますが、私はどうにも信じられません。日本本来の古語古書古文は無いものとして滅せられ封じられている向きもあるように感じるのです。漢字に音読み訓読みのある理由もそのせいだと考えます。古事記、日本書紀など、日本本来の文字と発音へ、漢字による当て字をしただけの集合文に見えるのです。本来の意味がうやむやになり、発音もままならないような漢字の当て字読みなど、さっさと捨てて欲しいと思っています。
だいたい、中華にしても、西洋や中央アジアからの文化が混じったものが多々あるように思えます。NHKのシルクロードもみましたが、仏像ひとつにしても、西洋からに東洋の果てたる日本まで、連綿としたつながりがあるように感じるのです。
誰が偉いとか、誰が発明したとかいうことは、大きなつながり、長い時間をかけて続いてきた小さな努力の積み重ねの上に成り立っているものです。電球1つでもエジソンは知識を広く探求して作り上げたのであって、材料を根本から発明し、電気が通って光る竹を作ったのではなくて、炭化した竹に電気を通したら光るという知識を他の電気の知識を組み合わせただけで、発明というより、今までにない組み合わせの発見に過ぎないはずです。
本来の発明の根源は全て大自然にあります。大自然の仕組みと、それを選んで組み合わせ抽出する力は人の不思議力、神力(カムチカラ)です。ですがそれらは大自然なくして一切の成就はかないません。大自然との調和があってこその文化文明です。少々の間違いや失敗ですぐに大自然がどうこうなるようなことはありません。失敗したと気づいたのなら訂正すればいいのです。しかしそれ故に人同士が諍いを起こしていては意味がありません。双方それぞれに正しいと思うことを見つけ、成就すればいいのです。諍いせずに、真逆の正解が1つの場に存在するようにしてこそ、右と左、上と下、火と水という相反するものが結び合わさるカミムスビのウブスナのチカラの発動にして、奇跡を呼ぶのです。もちろん邪念の妨害は意識して排除しなければなりません。正邪を見分けるス直な心は、一切万物に感謝し、他人の幸せを願うス直な心に宿ると思います。
自動車の発明も奇跡、文明の発展も奇跡、連綿たる生命のつながりも奇跡なのです。
私たちは大自然の力を使わせてもらっているだけという謙虚な心構えを、私は忘れたくないと願っています。
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